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はじめに
詳しい経緯はここでは語らない。
リンクを辿って当該ツイートが再び注目の的になるのは本意ではないからだ。ただ、冷静になってもう一度よく意味を考えてほしいということだ。
背景
この度「サーモンランにおいてWAVE終了後に浮き輪を復活されたくない」というプレイスタイルを持つ人を識別するタグとして「〆」という記号が提案された。
つまり、それを(末尾に?)つけている人は「リザルトで非救助数が増えたくないから助けないでください」ということをタグをつけることで他のプレイヤーに伝えたいわけである。
で、気になるのは「復活させないで欲しい」というのは「得なのか損なのか」ということである。
仲間を復活させることは得である
まず「クリア率が上がる行為」を得とし、「クリア率が下がる行為」を損とすることにしよう。
詳しく話すととんでもなく記事が長くなるので省略するが、サーモンランにおいて「こうした方が得」であるとはっきりとわかっているプレイスタイルはほとんどない。
カタパッド片翼論争と比較する
例えば、ぼくはたびたび記事で「無意味にカタパッドを片翼放置する意味はない」と主張しているが「カタパッドをたおすことによってクリア率が上がる」ことを示す統計的に意味のあるデータは一つもない。一つもないのである。
ただ「カタパッドが再湧きする可能性は低く、さっさとたおして序盤に金イクラの納品を確定させたほうがクリア率は上がりそうだ」という、悪い言い方をすれば「勘」によってこの戦法を支持しているのである。
そして少しずつではあるが、サーモンランプレイヤーの間で「無駄に片翼放置はすべきではない」というプレイスタイルが広まってきているようにぼくは感じている。「クリア率が上がるかどうかわからない」にも関わらずである。
それに対して、WAVE終了後に仲間を復活させることは復活した仲間が陣地を塗り拡げられる(僅かではあるが)時間を確保することができる。サーモンランにおいて陣地が広いことが損をすることは絶対にない。絶対にである。
なので仲間がものすごい遠くで浮き輪になっているため「自分の塗りを放置して仲間を復活させる」というような復活のために塗りが犠牲になるケースを除けば仲間を復活させることは得なのである。
この差はほんの僅かなものであるし、どれだけクリア率アップに貢献しているかわからないし、将来的にわかる見込みもまったくない。しかし、上がることは間違いないのである。それなのに「復活させないでください」というのは「多少ではあるがクリア率を低くするプレイスタイルですよ」ということを意味している。そういうタグを付けている人を快く思わない人がいても何ら不思議ではないだろう。実際、否定的な意見もいくつか見られた。
このタグにおいては「タグを付けていることがネガティブなイメージを生むと感じている人が一定数いる」ということを念頭に入れていただきたい。
話の本質について
で、今回何が起こったかというと「新たにタグを考案するとその文字を元々使っている人が別の意味で取らえられてしまう」と主張する人が現れたことである。このあと話が右往左往しているらしい(そこまで遡る元気はなかった)のだが、結局のところ話の論点はここだけだ。
「タグを付けるのが正しいのか間違っているのか」「タグを考案するのが正しいのか間違っているのか」「タグの持つ意味がローカルなのかグローバルなのか」そんなことはどうでもいいのである。
「誰がタグを考案したとか」「誰が主張したとか」そういうことを頭からスッパリ消してよく考えてほしい。この方の主張は間違っているだろうか?
自分はそうは思わない。「新たにある特定の文字に特別な意味が付与されると、同じ文字を使っている人がそういう意味合いで捉えられてしまう」と感じるのはものすごく自然なことだ。
VTuberの名前重複に学ぶ
さて、これは自分も詳しくないのだがこのタグ問題が発生する数日前に「VTuberの名前重複問題」が発生したのをご存知だろうか?
話をわかりやすく意訳すれば「新規ネットアイドルの名前(もちろん創作だ)が、イラストレーターの方と被り、イラストレーター側の方が改名するかしないかの選択を迫られた」という問題である。最終的にお互いの間で話し合いで穏便に解決し、VTuberの方もイラストレーターの方も同じ名前を使うことで合意に至ったようだ。
今ある問題はまさにこれと同じなのだ。
歴史に学ぶ
これは一年以上前の話になるのだが、とあるランキングにおいてサブ垢を使って二つのアカウントで上位で入賞したプレイヤー(フォロワーたくさん)がいました。そして「二つのアカウントで入賞しました!」という内容のツイートに対してたくさんの賞賛の言葉が投げかけられていました。
それに対して「サブ垢を使って二つのアカウントで入賞するって良いことなの?その一枠分で落選した人は悔しいって思うんじゃないの」という内容のツイートした人(フォロワーちょっと)がいました。で、それに対する周囲の反応というのは「入賞できない実力がないのが悪い」「それを言っていいのは(その一枠分で)落選した人だけ」「二垢で入賞するのはすごいこと」「できないから僻んでいる」といったものでした(ネガティブなもののみ抜粋)
さて、ここでは「それぞれの主張が正しいか正しくないか」の言及は避けます。話が長くなるからです。しかし今回のタグの件、これと似ているとは思われませんか?
「きっと誰かが悔しい(不快)な思いをする、だからそれはすべきではない」というのは当然の(何度もいうが、正しいか正しくないかはどうでもいい)主張なのです。
所感
ぼく個人の考えとしては「安易に記号に意味をもたせるべきではない」と考えています。何故ならこの方のように「誰かが不利益を被るかもしれない」と自分自身が感じていることと、この方のように「誰かが不利益を被るかもしれない」と感じる人が一定数いるだろうと考えられるからです。だからこそ「意味を追加する」ことは慎重に行わなければなりません。
そして、今回最も問題となるのは「タグを付与することが直接的なネガティブイメージをもたらす」ということでしょう。サーモンランには既存のタグとして「/」というものがあります。これは付けることによって「オオモノの誘導をわかっています(するかどうかは別)」ということをマッチングした仲間に伝えることを意味しています。
「/」 も記号に特別な意味合いをつけるタグですが(考案されてから時間が経っていることを考慮しても)目立った反対意見をみたことはありません。何故でしょうか?
ポジティブとネガティブ
この「オオモノの誘導をわかっています」というのは決してネガティブなイメージではありませんし、「あなたもオオモノを誘導しなさい」と相手にプレイングを強制するものでもありません。
それに対して「復活させないでください」というのははっきり言えば「クリア率が上がる行為をしないでくれ」と相手にプレイングを強制するものです(相手が守るかどうかは別として)。ネガティブなイメージを持つ人はいてもおかしくありません。
なので、もし同じような意味付けを考えるのであれば「復活させないでください」というタグではなく「私は(クリアのために)浮き輪を復活させます」というタグを考案すべきではないでしょうか。
ネガティブなタグとは「背中に貼られた悪口が書かれたレッテル」そのものです。もし新規に考えるのであれば必要以上に慎重にならなければいけません。何度も言いますが「タグの意味付けで不利益を被る人がいるかも知れない」と考えるのは自然なことなのです。
例えばどっかの国際的に影響力のある団体が「今後、髪の毛が黒色(または黒に染めている)人間は過去に犯罪歴があることを示すものとする」ってなったら「おいおいそれはちょっと待て」ってなるでしょう?そういうことなんですよ(上手いアジア系に当てはまる例が思いつかなかった)
もちろん、名前に「〆」が入っているプレイヤーは、この例でいうところの人間全体における黒髪の人間の割合よりもずっとずっと少ないです。でもイメージとしてはそういうことなんです。「割合が少ないからそのたとえはおかしい」と思うかもしれませんが、それは先述したVTuberの名前重複の章をもう一度読んでみてください。
これは名前が被ったのがたった一人にもかかわらず、(名前「タグ」のもたらす影響力は全く違うが)大きな議論を生んだのです。
まとめ
こういうと「逃げ」と捉えられてしまいそうですし、実際自分も直接的な批判を避けて「逃げ」ている自覚は多少あるのですが結論を言います。
- (個人の考えとして)タグ自体は不要
- タグを考えるのは自由
- 考えるならポジティブな意味合いにすべき(特に「/」のように誰もが使えるようにするならなおさら
- この方の(根本的なところの)主張は極めて自然で、何もおかしくない
- (主張はおかしくない上で)このタグを採決するかどうかは自由
- そのタグを使うかどうかは自由
- そのタグの意味を理解した上で、従うかどうかは自由
- 採決したことで、各個人が一連の流れをどう思うかもまた自由
うーん、自由すぎるな。
自身を天才と信じて疑わないマッドサイエンティスト。二つ上の姉は大英図書館特殊工作部勤務、額の十字架の疵は彼女につけられた。
コメント
救命されなかったとしても、10秒くらい残った段階でデスしていた場合はカウントされている気がするのですが、どうでしょうか?
残り時間によっては救命されなかったとしてもデス数はカウントされるから救命してもらった方が得だよという結論が出て啓蒙されたら、ゼンメツの可能性が減るかなと思います。